寧安如夢 宮廷にふたたび舞い降りる愛 第16話 あらすじ
燕臨の冠礼が滞りなく終わろうとした時、薛遠が聖旨を持って現れた。
通州での反乱を唆した燕家父子を捕らえる、と。
張遮は聖旨に必要な翰林院の印がないことを指摘し聖旨が無効であると訴えた。
薛遠は印を得るため一旦引いた。
公儀丞らは、通州で反乱を起こさせようとしていたが、謝危は反乱を止めるため動いていた。
反乱が起きなければ燕家は無事だからだ。
しかし押印を済ませ聖旨を有効化した薛遠は、聖旨に逆らったとして燕牧と燕臨を連行すると言い…?
感想・考察
雪寧『前世では冠礼に出なかった。あの惨劇はなぜ起きたの?』
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第16話より引用
という雪寧の独白から始まりました。
!?
雪寧、知らないの?
じゃあ、何よ、あの回想シーンみたいなのは。
大惨事が起こってから駆け付けたから、そこに至る過程を知らないということなんでしょうか。
突然主人公から突き放され、不安な気分で始まりました。
予想通り何事もなく終わるのかなと思った矢先に、薛遠が来ました。
来てしまった…。
おそらく、前世では周寅之を使って燕家の罪を捏造したと思われますが、今回は担当者の周寅之が協力的ではないですから、捏造がそこまでうまくいってないんでしょうね。
そのため、通州での反乱教唆という罪を捏造し、燕牧と燕臨を連行しようとしました。
ところがこの反乱というのは、まだ起きていない、肝心の聖旨には印がないということで、薛遠が焦りすぎている感がありました。
なんで冠礼の日である、今日じゃなきゃダメだったんでしょうか?
あと1日待てなかったんでしょうか?
協力者(片面的協力者?)の公儀丞が、「今日反乱起こすから、よろしく」みたいな感じで連絡してきて、「え?今日?まだ準備が整ってないんだけど…」みたいな感じで、とりあえず頑張った感じなんでしょうか?
鋭い沈芷衣と気づかないパパ
沈芷衣「謝先生がいつもと違うわ。…(中略)…まるで燕臨の兄上であるかのよう」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第16話より引用
血のつながりを考えると謝危は薛姝や薛燁の兄なわけですが、本人の心理的には燕臨の兄と言われた方がしっくりくるでしょうか。
沈芷衣が鋭さを発揮していました。
それに対して実の父親は…。
あんなに近くで見つめ合っても気づかない。
「あれ?なんかこいつ、俺に似てない?」みたいには全く思わないんでしょうか?
気づく、と言えば、燕臨は謝危が薛定非だと知っているんでしょうか?
燕臨「薛家の全員が負け犬ではありません。薛定非が生きていたら負け犬ではありません…(中略)…誰もが知るように定国公府の世子は燕夫人の長男で私の従兄の薛定非だ」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第15話より引用
という発言がありましたが。
燕臨は薛定非が生きているという手紙が届いたというところまでは燕牧に教えてもらっていました(6話)。
でも、燕臨は、薛定非が生きているという話は平南王の離間策の一環だ(から生きていない)と思っているように、あの時は見えました。
その後、もしかして燕臨は燕牧から、謝危=薛定非だと教えてもらったんでしょうか?
15話の発言は、そう思えるような内容でした。
そして、思ったのですが、定国公府の世子が燕臨の言うように薛定非だとしたら、謝危が「どうも、僕です」みたいな感じで薛遠に正体を話して家に戻り、「え?父上お腹が痛い?頭も?…体中が?」みたいな感じで新定国公になれば、薛家と燕家の確執もなくなるんじゃないんでしょうか?
それじゃあ、ダメなんでしょうか?
それじゃあダメな理由が、今回の礼記の引用にあるでしょうか?
謝危は、緊張してて間違えたみたいなことを言っていましたが、張遮はわざと言わなかったと思っており、それが正しいのだと思われます。
Wikipedia 先生によれば、忠とは「主君に対して裏表のない態度を意味する概念」だそうです。忠 – Wikipedia
謝危「昔、私が乱心した時にうわごとで逆心を口走ったことがあります」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第2話より引用
謝危はこのように、自分に逆心=謀反の心があると言っています。
自分を身代わりにして生き永らえた沈家と薛家に復讐するつもりだから、たとえ儀礼の場だとしても心にもない「忠」についてなんて言及できなかったということなんでしょうか。
自分に嘘をつけなくて、張遮に疑われた謝危ですが、嘘をつけないということで、人間的である、育ちが良い、のような印象を受けました。
本当にヤバい奴なら、ここで嘘をついて、最後の最後まで真実の姿は表さないように思いました。
…などと考えてきましたが、もし謝危が今、薛定非だと名乗って薛家に戻ったら、ただ警戒されるだけですよね。
薛遠や薛太后には、薛定非を切り捨てころしたという自覚があるでしょうし、助かったということは、平南王が関係していそうで、こんなに立派に育っているのは平南王が一枚噛んでいるんじゃ?というところまではすぐにわかってしまいそうです。
家に戻ったら、もう1度命を奪われることになるだけでしょうね。
皇帝の真意
皇后「なぜ聖旨を下したのです?」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第16話より引用
皇帝「忘れたか?今日の賛冠者は謝危だ。彼は朕に忠実だ。彼がいれば冠礼は無事行われ燕家は乱れず大乾も乱れぬのだ。シギと蛤が争わねば漁夫は利を得られぬ」
皇帝は伯父に頼まれて しかたなく聖旨を出したものの、伯父の思惑通り事は運ばないだろうと思っているようです。
シギと蛤というのが燕家と薛家で、この2家が争わなければ大月氏や平南王は利を得られない、ということを皇帝は分かっています。
争わせたら大乾が乱れて平南王や大月氏の思う壺であると皇帝は分かってるんですね。
ただ、そうだとすると、分からないことが。
謝危「陳瀛の手を借りて燕家の断罪を目論んでいるのは皇帝なのだ」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第3話より引用
このように謝危は言っていました。
なので最初のころは、沈琅(皇帝)は燕家の敵だと思っていました。
けれど今回の発言から見ても、沈琅は燕家を滅ぼそうとまでは思ってなさそうです。
沈琅「叔父上が欲しているのは燕家一族すべての命なのだ」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第16話より引用
薛遠はきれいに片づけたいと思っているけれど、沈琅はたまにジャブをかますくらいでいい、という考えであり、どの程度燕家をやっつけたいと思っているかという点において2人の間には違いがあるということなんでしょうか。
大乾皇帝として、国を滅ぼさないためにも薛家と袁家は共存してもらわなければ困る、だけど薛遠がうるさいから、たまに袁家を叩く、くらいの考えでしょうか?
反乱が起きなくても
沈琅「もし勇毅侯が聖旨に従わず叔父上と衝突すれば聖旨に逆らった罪に問える」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第16話より引用
呂顕の働きで、通州での反乱は起こらなそうです。
しかし、聖旨に逆らったとして燕牧と燕臨は連れていかれてしまうみたいです。
聖旨に逆らったっけ?とそこが疑問でした。
燕臨が聖旨を叩き落す形になってしまったことを言っているんだろうか?と最初思いましたが、多分そうではなくて、聖旨に従わず追い返したことを言っているんですよね?
でもあれは、全て正論で追い返したように見えましたが、正論でもダメということなんでしょうか。
そういえば、張遮が興武衛を批判した時も正論で批判していたように見えましたが、罷免されましたもんね。
恐ろしい世界です。
ところで、なのですが
どっちでもいいよ、って方が多いとは思うのですが、一応書いておきます。
このドラマでは薛遠が沈琅の伯父(薛太后の兄)であるのか、叔父(薛太后の弟)であるのかについて、表記が揺れているようです。
沈琅「伯父上の忠誠は疑ったことなどない」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第7話より引用
このセリフがあったので、薛太后は薛遠の妹だと思っていました。
しかし、今回沈琅は薛遠のことを「叔父」だと何度も言っていました。
薛姝も4話では太后のことを「伯母」と言っていましたが、叔母と言っているときもありました。
どちらが正しいのか分からないのですが、4話の太后は薛遠のことを「兄」と言っていたように思います。
太后「兄上に伝えて。沈玠を皇太弟とすることを提案してもよいと」
寧安如夢(ねいあんにょむ)~宮廷にふたたび舞い降りる愛~ 第4話より引用
4話を見た時は定かではありませんでしたが、この会話は太后と薛姝の間で交わされたものなので、この「兄上」というのは薛遠のことだと思われます。
そこで、このブログにおいては、今まで通り薛遠が兄で薛太后が妹だということで書き続けようと思います。
よろしくお願いします。
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