紅き真珠の詩(うた) 第33話 絶好の商機 あらすじ
秦さんの瑠璃制作は成功した。
燕子京の症状は悪化し視力に一時的な障害が出始めた。
徐南英に毒を盛ったのが燕子京だと知った張普然は端午のため自重するよう言った。
康国の王室御用達商人康明がやってきて、瑟瑟石を探しているという情報が流れた。
瑟瑟石の値は高騰した。
燕子京が買い占めているのだ。
崔十九は広州での二の舞になることを警戒したが、盗品を処分するいい機会でもあるため鄭家は瑟瑟石を売ろうと考えた。
母を侮辱された崔十九は、玉小娘に手を上げた。
端午は鄭家に焦燥感を与えるため、瑟瑟石販売に名乗りを上げた。
感想・考察
康明という外国(康国)の商人がやってきて、瑟瑟石を買いたいと言っている。
瑟瑟石は燕子京が買い占めていて値段が高騰している。
鄭家は瑟瑟石を売りたい。
この状況、崔十九も言っていましたが、8,9話を思い出しますよね。
施那威という外国商人がやってきて、真珠を売りたいと言った話です。
あの時、崔氏は真珠を買いたい側でしたから、施那威は真珠を売る側で現れました。
しかし嵐で真珠が届かないという話になり、納期が迫っている崔氏は追い詰められるということになりました。
もちろん、施那威は燕子京とグルでした。
今回の康明も燕子京とグルなのでは?と疑ってしまいます。
しかし、今回康明は瑟瑟石を買いたいと言っているので、この状況でどのように鄭家を追い詰めるのか謎なのですが。
燕子京のカラダ
燕子京の症状がさらに進んでしまいました😰
視力障害が発生し始めました。
端午は未だに燕子京の体のことを知りません。
一刻も早く名医を探すとかし始めたほうがいいと思うのですが、鄭家のことや瑠璃に夢中で燕子京の体のことは後回しになっています。
このままだと絶対にまずいですよね。
康琚だけには燕子京は体のことを話していますから、29話の時のように、康琚がついうっかり端午に話してくれるといいのですが。
頼みます、康琚🙇♀️
瑟瑟石についてAIに聞いてみました
瑟瑟石なのですが、調べても何であるのか答えが出てこなくて、AI先生(gemini)に聞いてみました。
ドラマの中では西方の国で採れるとあり、青い色の宝石なので、そのことも説明して聞いてみたところ、次のような回答が返ってきました。
「瑟瑟石」(しつしつせき、またはサーサスせきなど)は、中国の歴史文献に登場する宝石名で、青色の宝石を指すことが多いようです。
中国ドラマ『紅き真珠の詩』で「中国よりも西方の国でよくとれる」とされている点や、青い宝石という情報から、特に唐代以降に西域(中央アジアなど)からもたらされた青系の宝石を指していた可能性が高いです。
具体的な宝石については諸説あり、主に以下のものが挙げられています。
- 天青石(てんせいせき):現在の**青金石(ラピスラズリ)**です。深みのある青色で、最も有力な説の一つとされています。特に最優良の産地がアフガニスタン(当時の西域に近い地域)であったことから、ドラマの設定にも合致します。
- 藍宝石(らんぽうせき):現在のサファイアです。色合いが近いため、この説を提唱する学者もいます。
- 緑松石(りょくしょうせき):現在のターコイズ(トルコ石)です。
現代の学術的な見解としては、**青金石(ラピスラズリ)**であるとする説が有力視されています。
「紅き真珠の詩」の関連情報では、「昭武康国(しょうぶこうこく)の王室御用達の豪商」が揚州にやって来て「瑟瑟石を大量に買い付けようとする」という話が出ており、この昭武康国は現在のサマルカンド(ウズベキスタン)周辺のソグド人国家と考えられ、シルクロード交易や西域との関連性が示唆されています。
だそうです。
ラピスラズリが有力ということでした。
ドラマの中の実際の宝石を見た感じ、トルコ石ではなさそうかなと思いました。
ガラスについて調べました
秦さんの瑠璃づくりが成功しました!
めでたい🐠
ただ、制作風景がよく現代で見る金属製の棒の先にどろどろになったガラスをつけて息を吹きかける、というものとだいぶ違っていました。
そこで、そのあたりのことについて調べてみました。
「紀元前50年頃にシリアで発明された吹き竿によるガラス吹きです。しかし完全に工業的に実用になったのは、50年以上後のローマ帝国時代です。紀元1世紀中にローマ帝国のガラス工業は確立され、大量生産ができる体制がイタリアを中心に出来上がり、大発展しました。」
黒川高明著「ガラスの技術史」 アグネ技術センター 2005 p10
ということで、ガラス吹きの方法はイタリア辺りを中心にした技法のようです。それに対して、秦さんの技法は
桜桃「(秦さんは)波斯国で10年学んだとか」
「紅き真珠の詩(うた)」第30話より引用
ということで、波斯国(当時のペルシア・現イラン)のものです。
「わが国では正倉院の幾つかのガラス御物がササン朝ペルシャからの渡来品で…(中略)…そのガラス組成は、ローマンガラスやイスラムガラスと全く異にしています。ササン朝ペルシャは、…(中略)…アルダシール1世が、226年にパルティア帝国を滅ぼして創建したイランの王朝です。651年アラビア人に滅ぼされるまで存続…(中略)…ササン朝の滅亡とともにその王族の一部は、唐へ逃れ再起を計りましたが果たせませんでした。しかしこの時、唐に多大な文化をもたらし、漢時代を最後に途絶えていたガラスが、この時代にイラン職人によって復活して、盛んに作られるようになりました。」
黒川高明著「ガラスの技術史」 アグネ技術センター 2005 p18~20
イランの技術はイタリアとは違うため、あるいは秦さんが学んだ工房の独自技術のため、あのような形のガラスの作り方になっているのかなと思いました。
正倉院にあるササン朝ペルシャからの渡来品のガラスは、白琉璃碗というもので、こちらのページ(白瑠璃碗 – 正倉院)で見ることができます。
美しいです。
ガラスの作り方としては、窯の構造の問題や科学技術の問題で、18世紀くらいまではずっと同じような形で3つのステップに分けて作られていたそうです。

「第一のステップは、シリカ砂とアルカリとを約750℃前後で煆焼し、個体反応を起こさせ、塊をつくり、これを冷却し粉砕して、フリットを作ります。フリット化は紀元前18世紀頃から18世紀までの3500年以上もの間、ガラス製造上必要な工程でした。
黒川高明著「ガラスの技術史」 アグネ技術センター 2005 p6
第二のステップで、このフリットとカレットを高温で溶かし、原ガラスを作ります。この高温を得るためには燃料として大量の木材を必要としますし、その基本としては窯、フイゴ等の高温技術が不可欠です。
第三のステップで原ガラスを溶かし、希望する色のガラスになるように着色剤を加え最終製品を作ります。」
フリットというのは粉末のことで、カレットというのはガラスの廃品を砕いたものだそうです。
3回も焼く作業があるということで、時間がかかりそうですよね。
さらに、
「ガラスを作るには大量の燃料が必要です。1kgのガラスを作るのに20kgから50kgの木材が必要です。」
黒川高明著「ガラスの技術史」 アグネ技術センター 2005 p29
ということで、原材料だけでなく木材も大量に必要だそうです。
端午「何度でも作り直せばいい」
「紅き真珠の詩(うた)」第33話より引用
と端午は言っていましたが、作り直すにも材料やそれを運ぶ人がたくさん必要、イコールお金がたくさんかかりそうで、端午にとってはかなりのチャレンジだったんだなぁと思いました。
そして、そんな風な背景の中、失敗したかもしれないのに あんなふうに優しい言葉を掛けられる端午は若いのに偉いなと思いました。
まだ10代ですもんね。本当にすごいです😊


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