楽游原(らくゆうげん) 第2話 腕比べと知恵比べ ネタバレあらすじと感想・考察

楽游原 第2話 腕比べと知恵比べ 楽游原

楽游原(らくゆうげん) 第2話 腕比べと知恵比べ あらすじ

李嶷りぎょくが蜂起したとの報告を受けた孫靖そんせいりょう王を呼び出し、李嶷りぎょくの人柄を尋ねた。
りょう王は、無知無能で乱暴な忌まわしい子だと答えた。

李嶷りぎょく裴献はいけん将軍の息子・裴源はいげんのフリをして郭直かくちょくの元へ和議交渉に行った。
校尉も和議を結ぼうと郭直かくちょくの元へ行った。
郭直かくちょくは、比べ馬をし勝った者と和議を結び、自軍が勝ったら両者に要求を飲ませることにした。

郭直かくちょくの配下が命を懸けて勝負に勝った。

郭直かくちょくは2人を野営地に泊め、密かに殺すことにした。
夜、鎮西軍、崔家軍がなだれ込み、野営地は戦場となった。
李嶷りぎょく校尉は力を合わせ郭直かくちょくの陣営から脱出した。

李嶷りぎょくは兵糧を奪うため単身校尉の後を追った。
校尉は熊用の落とし穴に落ち、怪我をし出られなくなった。
李嶷りぎょくも落とし穴の中に飛び込んで来た。

2人は罠を仕掛けた猟師たちに見つかり…?

感想・考察など

1話では名前しか出てこなかった孫靖そんせいがついに登場です。
皇太子妃だったしょう氏と親密そうな様子。
これは謀反後に始まった事なのか、それとも皇太子が存命中からなのか気になりますね。

とりあえずしょう氏は、皇太子のことを全く好きではなかったような印象を受けました。
もちろん、孫靖そんせいの手前、そう振る舞っているだけかもしれませんが。

楽游原 現在の勢力図

1話によれば、近衛軍は寝返り孫靖そんせいの配下となったようです。
そしてぼう州の状況を見た感じ、ぼう州城を皇帝から預かっていたと思われる(?)郭直かくちょく孫靖そんせいの命令を聞いています。
このことから 謀反が起きた後、それまで皇帝の意に従っていた人たちは孫靖そんせいの命令に従っている状況だと思われます。

そんな中、鎮西軍と崔家軍は勤王を掲げて 静観している各州の人々に蜂起を呼びかけつつ西長京せいちょうきょうを目指している、という状況。

李嶷りぎょくのいる鎮西軍と校尉の属する崔家軍は、共に勤王・逆賊討伐を掲げているということで、今は兵糧を巡って争っていますが表立って敵対する関係ではなさそうです。勤王と言っている者同士が表立って戦ったら裏の企みがバレてしまいますもんね。
微妙な敵対関係なんですね。

そんな中、李嶷りぎょく校尉は、助け合いながら距離を縮めています。
李嶷りぎょくは暴れ馬から校尉を救ったり、溺れているところを(?)救ったり、食べ物を差し入れしたりと頑張っています。
校尉も、追手から李嶷りぎょくを隠してあげたりと、恩は感じている様子。

構い合う関係?
私的には もうすでに、かなり仲良しに感じますがっ!?
まだまだ先は長いですから見守って参りましょう。

今回は、気になったことをまとめました。

梁王の語る李嶷像が印象と違う

1話・2話を見てきて李嶷りぎょくに対して抱いているイメージは、
・皆に好かれている
・頭がいい
・強い
・皇孫だが偉ぶらない
などではないでしょうか?

しかし李嶷りぎょくの父・りょう王が語る李嶷りぎょくは以下のようなものでした。

「あの子は…実に忌まわしい子なのです。生まれた際 母親を死に至らしめました。昔から聞き分けがなく無学無能です。私も親としてしつけを怠ってきました。成長するにつれますます乱暴になりました。息子はどうしようもない愚か者です。手に負えません。だからこそ陛下は…いえ 先帝は激怒なさり鎮西軍に追いやったのです。…(中略)呪われた子です」

楽游原 第2話 梁王のセリフより引用

そして無抵抗の人に暴力を振るう李嶷りぎょくの姿が描かれていました。
りょう王の語る李嶷りぎょくと今現在の李嶷りぎょくが大分違います。
これはどういうことなのでしょうか?

①確かに過去の李嶷りぎょくは手の付けられない乱暴者だった。しかし皇帝に鎮西軍に追いやられたことで心を入れ替えた。
李嶷りぎょくは何か目的があって、無学無能で乱暴者のフリをしていた。
りょう王が嘘を言っている。または、りょう王の知らない事情があったり嘘の報告を受けたりしていたため李嶷りぎょくの本当の姿を知らなかった。
などが考えられるでしょうか。

1話によれば、他の王が皆殺しにされた中、りょう王は療養中だったために難を逃れたそうです。
そして今回、りょう王は不調のため孫靖そんせいからの追及を逃れたように見えました。
今回の不調が、私としては仮病っぽく見えたため、もしかしたらりょう王はかなりの曲者で、孫靖そんせい謀反という情報を事前にキャッチし、療養のフリをし難を逃れたのではないかと考えてしまいました。

りょう王がこのような人物の場合、りょう王の語る李嶷りぎょく像は単なる嘘だと思われます。
しかし、それなら無学無能くらいで良かったのではないか、「忌まわしい子」や「呪われた子」などと言う必要はなかったのではないかと疑問に思いました。
りょう王が李嶷りぎょくを守るために嘘の証言をしたのだと考えると、不必要に李嶷りぎょくを貶めているような気がします。

いったいこのギャップはどういうことなのか、これから明かされるのを楽しみにしたいと思います。

何校尉は何者?なぜ名前が出ない?

今回、さいの若様が出てきました。
そして校尉のことを「阿蛍あけい」と呼んでいました。

崔倚さいいの命で子の崔琳さいりんさい家軍を率いえい州を出発」

「楽游原」1話前半のナレーション部より引用

このようなナレーションが1話前半にありました。
そのため、さい家軍を率いている崔琳さいりんさいの若様だろうという推測が成り立ちます。

しかし、さいの若様には「さいの若様」という名前が与えられています。
李嶷りぎょくが出てくれば「李嶷りぎょく」と名前が出るのに、さいの若様は「さいの若様」で、校尉は「校尉(阿蛍あけい)」。
2人には名前が出てきていません。

さいの若様が率いてきたのはさい家軍の分隊で、本体は崔琳さいりんが率いている。さいの若様は分家の若様とか、側室が生んだ子とかで崔琳さいりんではないということなんでしょうか?
なんで名前が出ないんでしょうか?

校尉は、さいの若様に対して「若様」と呼んでいますが、言葉自体は対等の言葉を使っていますよね。
そしてさいの若様は、ぼう州攻めを取りやめ全軍を挙げて校尉の捜索を命じました。
計画ではぼう州を攻めることになっていたうえ、今がチャンスにもかかわらず校尉の捜索を優先させました。

さいの若様にとって校尉がかなり重要な人物だとわかります。
2人はどんな関係なのか、そして2人に名前がないのはなぜなのか。
とっても気になりました。

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